pdf番号 | 開始時間 | 論文題目 | 発表者 | 演旨 |
シンポジウム中止の経緯 | ||||
開会挨拶 | 10:00〜10:05 | 太田委員長 | 開会挨拶 | |
委員会報告 | 10:05〜10:35 | 地盤部会報告 | 正垣部会長 | 歴史遺産委員会地盤部会の活動報告 |
委員会報告 | 10:35〜11:05 | 水害部会報告 | 越智部会長 | 歴史遺産委員会水害部会の活動報告(空撮ビデオ映像による報告) |
Am01 | 11:05〜11:20 | 横浜市登録史跡「田谷の洞窟」の多分野統合型保存活動と地域づくり | ○ 田村裕彦 小口千明 早川裕弌 緒方啓介 小倉拓郎 守田正志 |
横浜市栄区田谷町にある横浜市登録地域史跡「田谷の洞窟(田谷山瑜伽洞)」は、全長570m3階建の地下文化財である。内部は約300点の浮彫レリーフが施され、我国の三大霊場(西国・坂東・秩父)や四国八十八霊場等の写し霊場となっている。現在、外気への暴露や気候変化等による劣化・風化が進み保存・保全の必要性がある。 2017年より保存実行委員会を立上げ、多数の大学研究者とデジタルデータ保存活動を基軸にした多分野統合型の基礎調査を実施している。また、この地下文化財基礎調査を地域社会や教育機関と連携させながら田谷の洞窟とその周辺地域の資源価値の再評価を試みている。地下文化財保存と地域づくりの実践的な連携の成果と課題を明らかにする。 |
Am02 | 11:20〜11:35 | 貝山地下壕の地質と3次元点群データで確認できた内部構造 | ○中山健二、森口安宏、小林優起、昌子住江 | 横須賀市追浜地区の貝山緑地内部に残る貝山地下壕は第2次世界大戦末期に海軍が本土決戦に備え、機能移転を目的に築いた軍事施設である。本地下壕は2011年3月の東北地方太平洋沖地震による地震動で内部の一部区間に天端剥離崩壊が発生したことを契機に公開を中断しているが、地盤工学会関東支部委員会による調査成果を踏まえ、今後の地下壕公開に向けて、3次元レーザ測量や落石調査、安全対策施設の検討・設計を行ってきた。本稿は明らかになった地質構造、代表的な3地区地下壕点群データで得られた内部構造について紹介し、土木的価値について考察する。 |
Am03 | 11:35〜11:50 | 関東及び周辺地域における災害石造物・伝承、祭祀施設等の調査研究と課題 | 大里重人 | 災害が起こると。その被害の犠牲者を供養あるいは災害への対応を記念して石造物や伝承、あるいは祭祀施設等の造営が行われることがある。これらの施設や伝承は、その地域の災害特性を示すために重要な示唆を与え、近年では地理院の地図に記載されるようになってきた。しかし、その分布や石造物の保存、あるいは伝承の記録・研究では、課題点も多く,研究の支障となる場合もある。本発表では、関東における災害石造物や伝承、あるいは祭祀施設の分布についてその課題点を洗い出し、今後の議論の方向性を提示するものである。 |
Am04 | 11:50〜12:05 | 近年発見された天明浅間噴火・寛保二年水害関連資料の解読と市民との連携について | 小宮雪晴 蓮田市民学芸員 〇大里重人 |
くずし字で記載された土木構造物の目論見書(設計書)や災害に関する日誌類、あるいは記録については、内容の解釈については工学や理学の研究者、くずし字の読解や内容の把握については歴史・文学系の研究者との連携のもとに行う必要がある。本発表は、近年発見された天明浅間噴火や寛保二年水害の絵図を含む古典籍をもとに、その内容についての把握、解釈に対して、教育委員会や市民、土木・災害研究者とのとの連携により実施した翻刻作業及び分析について、その概要と経緯、意義や課題、今後の方向性について提示するものである。 |
講演 | 13:00〜14:00 | 歴史に学ぶ、今迫りくる大水害の危機 | 土屋信行 | |
Pm01 | 14:00〜14:15 | 旧歩兵第16聯隊白壁兵舎の基礎構造と建物の変形 | 〇正垣
孝晴 中川原 雄太 |
幕末から明治初頭に海外から導入された技術を用いて建造された構造物の変形を基礎構造との関係から検討する研究の一環として,旧歩兵第16聯隊白壁兵舎の建物の変形と基礎構造の関係を考察した。標準貫入試験のN値が10以下 の沖積の粘土と砂層が10m以浅に堆積している。白壁兵舎は,解体前の調査においても140年の歳月をほぼそのままの形状で維持していた。硬質地盤上に建設された富岡製糸場の東西置繭所と繰糸所の基礎構造と同様に,明治初頭の同 時期に白壁兵舎においても地盤工学技術の水準の高さを示していると解釈された。 |
Pm02 | 14:15〜14:30 | 世界遺産「富岡製糸場」の構造物基礎と地盤について:測量成果からの考察 | 〇藤井幸泰 正垣孝晴 中川原雄太 |
富岡製糸場は,明治5年(1872年)に政府が設立した模範器械製糸場である.鏑 川を望む河川段丘上に造られた施設群は,木骨レンガ造りの構造物が主体であ る.これら製糸場・東置繭所・西置繭所を対象に,礎石の標高測量と,木骨柱の 傾斜測定を実施した.西置繭所には北部へ向かってやや沈下する傾向が認められ,これは地盤中の粘土層が圧密されている可能性が高い.柱の傾斜はやや大きいものの,繰糸場や東置繭所も含めて礎石の標高差は50 mm以内を示し,床の傾斜(基礎)は現在の技術的基準と比べても大きな差は認められない.明治時代の建設技術の高さを裏付ける構造物としても,世界遺産や国宝として価値あるものと考えられる. |
Pm03 | 14:30〜14:45 | 我が国近代初頭における海上砲台築造技術の変遷 −台場から海堡へ− |
野口孝俊 | 1854年(安政元)のペリー再来航以来,江戸幕府は東京湾の海岸防御体制を固めるため、江戸防御のために品川台場を構築し、横浜開港に合わせ神奈川台場を築造した。いずれも海上に人工島を建設した上に大砲を配備したものである。1871年(明治4)、明治政府は日本列島要塞化に取り組むことを決め、その一環として東京湾には第一海堡、第二海堡、第三海堡の建設を進めた。海堡は台場と比較して沖合の水深が深い位置に建設されたが、波浪にも耐えうる石積護岸構造など、従来の建設技術を踏襲しつつ西洋からの新しい技術も導入して建設されたものと想定される。本稿では神奈川台場の建設仕様から日本古来の建設技術を整理した上で、品川台場から第二海堡までの特徴を比較して建設技術の変遷をまとめたものである。 |
Pm04 | 14:45〜15:00 | 神奈川台場建設技術に関する一考察 | 野口孝俊 | 神奈川台場は1860年に横浜港の開港にあわせて築造された台場であり,勝海舟の設計による西洋式築城技術を採用した徳川幕府の外交施策を反映して建設された施設である。本稿は建設時の既往文献から台場築造技術に関わる部分の整理を行った。次に先駆事例である品川台場の築造技術から神奈川台場との類似技術を整理して,その結果を踏まえて,施工記録資料が少ない神奈川台場の施工計画の推定を行った。 |
Pm05 | 15:00〜15:15 | 東京湾第二海堡における護岸法面の断面と建設順序の再検討 | 片山 哲哉 | 第二海堡の右翼北岸に現存する護岸構造物は背後に掩蔽豪が迫り、公知の「日本帝国海堡建築之方法及景況説明書」とは断面が異なる。そのため、現地調査により断面と建設順序を検証した。海岸の間知石護岸の背面には埋立砂の流出防止用に粗石コンクリート壁が、陸側にはコンクリート基礎上に凝灰岩の石積擁壁が築かれた。この擁壁は背面がモルタル被覆され掩蔽豪前の通路に露出するが、海側は盛土法面が築かれたため被覆コンクリートと笠石によって隠された。最上位の防波パラペットは擁壁の直上(東側)または前面(中央)に設けられた。関東大震災後は波浪の浸食により砂が流出し、西側で間知石護岸・法面が崩壊し擁壁・パラペットが転倒した。 |
休憩 | 15:15〜15:30 | |||
Pm06 | 15:30〜15:45 | 東京湾第二海堡にみられる石材と骨材 −岩石学的特徴と原産地の探求 − |
片山 哲哉 | 第二海堡の石材と骨材の岩質調査、供給地の文献調査、現地踏査と照合を行った。間知石護岸と笠石はソレアイト質の安山岩で箱根火山の複数の溶岩流に相当し、塩類風化を受けていた。石積擁壁の石材には今回初めてスコリア質凝灰岩に千葉県金谷の房州石の商標の刻印が確認され、一部は三軒家砲台・観音崎砲台と共通であった。三浦半島に多い岩相の茶褐色の凝灰質砂岩と、泥岩偽礫を含むスコリア質凝灰岩の石材に刻印は見られなかった。明治期の法面と砲台のコンクリート粗骨材は砂岩が優勢の円礫でチャートを含み、岩種構成は多摩川産砂利に相当し、遅延膨張性アルカリシリカ反応を生じていた。細骨材は貝殻を含む海砂で富津岬付近の砂に類似する。 |
Pm07 | 15:45〜16:00 | 歴史遺産における伊豆半島真鶴産石材の利用について | 坂元 秀平 | 石材に乏しい関東平野において、江戸時代以降明治までを中心として各地より石材が移入されている。そのうち、江戸城石垣をはじめとして、当時の建築物に利用される石材は伊豆半島・箱根地域に産する「伊豆石」が多くを占めている。伊豆石は、溶岩が固結した安山岩と呼ばれる岩石が大半を占めているが、その中で、石製築造物に対して特に利用が多い石材は、真鶴地域に産する「小松石」である。 この「小松石」については、原産地試料との岩石学的比較から肉眼的な分類を行っており、多種の岩相を確認している。今回の報告ではこれまでに著者が調査した歴史遺産に使用される真鶴産の安山岩について記述する。また、原産地の伊豆半島真鶴地域において確認された岩相との比較を行う。 |
ディスカッション準備 | 16:00〜16:15 | |||
ディスカッション | 16:15〜16:55 | シンポジウムのまとめと今後の歴史遺産研究の在り方について | 各発表者 司会:委員会幹事 |
シンポジウム全体の内容について取りまとめ報告10分 残り30分でディスカッション |
閉会挨拶 | 16:55〜17:00 | |||
個別発表は、発表10分 質疑5分=計15分 |